そして「『コブラ』のように寺沢武一は復活します」とつづっていた。
SF漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが心筋梗塞のため、8日に亡くなったことが分かった。11日、寺沢さんの作品の公式X(旧ツイッター)で公表された。68歳。北海道出身。
コブラは、対立するギルド宇宙軍元帥・サラマンダーを倒す行動を起こします。
寺沢さんの訃報を受けて、アニメ映画「スペースアドベンチャーコブラ」でコブラ役を務めたのは歌手の松崎しげる(73)がコメントを発表。「残念です、、、男のロマン、女性の色気、その全てがコブラに生かされていました。先生の生み出したスペースファンタジー「コブラ」、、、こんなに憧れる主人公は今後二度と出てこないでしょう、、、ご冥福をお祈り致します(原文まま)」と悲痛な思いをつづった。
寺沢さんは手塚治虫氏の下で修業を積み、1977年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)にデビュー作「コブラ」を発表、78年11月からは連載を開始した。左腕に銃を装着した不死身の男・コブラの活躍を描いたSF作品で、単行本は3000万部以上を売り上げ、82年にアニメ映画化、テレビアニメ化された。
SF漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが死去したことが11日、分かった。68歳。北海道旭川市出身。「コブラ」を連載していた「週刊少年ジャンプ」を発行する集英社が本紙の取材に明らかにした。
寺沢武一公式サイトです。コブラなど寺沢作品の情報をいち早くお知らせします。
SFアクション漫画「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが8日、心筋で死去した。68歳だった。
北海道出身。上京後、手塚治虫のアシスタントを経て、1978年から「週刊少年ジャンプ」で代表作「コブラ」を連載。一匹の宇宙海賊が星々を飛び回る痛快なストーリー、アメリカンコミックを意識したリアルで迫力ある描写が人気を博し、アニメ映画化、テレビアニメ化された。
『コブラ』(COBRA THE SPACE PIRATE)は、寺沢武一の漫画作品。および作品内の主人公の名称。 コブラ
【兵庫】「コブラ」で知られる漫画家・(ぶいち)さんの直筆原稿などを集めた企画展「デジタルマンガの先駆者 寺沢武一展~元・のアシスタント~」が、町の市立手塚治虫記念館で開かれている。来年2月19日まで。
『コブラ』寺沢武一氏のSNSに不適切画像、プロダクションが謝罪(画像はイメージ)
「コブラ」手塚が称賛したデジタル漫画の先駆け 寺沢武一展が開催中
1998年に脳腫瘍を患い、闘病生活を送っていることを2003年に公表。闘病しながら創作活動を行っていた。
手塚治虫氏の下で修業を積み、77年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)にデビュー作「コブラ」を発表。左腕にサイコガンを装着した不死身の男・コブラの活躍を描いたSF作品で、単行本は3000万部以上を売り上げ、82年にアニメ映画化、テレビアニメ化された。そのほか「鴉天狗カブト」「ゴクウ」などを手がけた。
「コブラ」のファンとして有名なのが、お笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーザー(39)。赤を基調とした衣装を貫いているのは、コブラへの憧れがあるからだった。かつて出演したテレビ番組では「赤いヒーローって強いし、かっこいいじゃないですか。おれも、かっこよくなりたいっていうのはあるから、赤を着ようと」と告白。左腕をサイコガンに改造したいと話すほど、心酔していることを明かしていた。
寺沢さんの死去が明らかになったこの日、カズレーザーはテレビ朝日系「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」に出演。圧倒的な知識を生かして優勝した。SNSには「COBRAに憧れた奴の優勝と同じタイミングで知るとは」と、驚きの声が上がった。
SNSのトレンドには「寺沢武一先生」「寺沢先生」「スペースコブラ」とともに「カズレーザー」「Qさま」なども上位に入った。悲しきダブルトレンドに、「コブラの作者が亡くなり、その日にQさまでコブラの姿をしたカズレーザーが他の追随を許さぬ圧倒的な優勝を勝ち取り、両方ともトレンドに乗るという展開」「コブラに憧れて金髪にして赤いスーツを着たカズレーザーがクイズ番組で優勝していた。そんな時にこんなニュースが流れてくるなんて…」と残念がる投稿も寄せられていた。
寺沢さんは北海道生まれ。浪人時代に投稿した漫画が入賞したことから漫画界入り。1976年、上京して漫画部のスタッフになった。アシスタントをしながら、の手塚賞佳作を受賞。で連載したデビュー作「コブラ」は、左腕に武器「サイコガン」を着けた海賊コブラの活躍を描いた作品で大ヒットし、アニメ化もされた。
[1-3話]スペースコブラ(1982) 寺沢武一の大人気コミック ..
手塚さんは、コブラ単行本第1巻のあとがきで、コブラのアメコミスタイルについて「たいへん結構である。将来、海外のコミック誌にも進出できるのでは」と期待した。一方で「ただし、SFはアイデアがありきたりになりがちだから、主人公の性格描写をうんとユニークにしてもらいたいと思う」とアドバイスした。
「コブラ」寺沢武一の企画展が明日から、師匠・手塚治虫の記念館で
そんな師について、寺沢さんは「いまだに、どの一編も手塚作品に勝つことができない」「ブラック・ジャックを超えられる物語を作れたら引退してもいい」と話していたという。
ブイチギルド 【寺沢武一作品公式】 (@BuichiGuild) / X
宇宙海賊コブラの冒険活劇を描いた寺沢武一の代表作。魅力は、テンポの良いストーリー運びと洒落た台詞等々、沢山。、そんな基本的で当たり前なコトを思い起こさせる作品です。
SF漫画の金字塔『コブラ』を生み出した漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが9月8日、心筋梗塞で死去しました。
平凡なサラリーマンとして生きるジョンソンが、自分が過去宇宙海賊コブラであったことを思い出す、この「コブラ」という作品全体の導入からはじまり、「キャプテン・ネルソンの財宝」にまつわる事件に巻き込まれるファーストエピソード。
寺沢武一の『COBRA』完全新作も連載開始! オトナの男のための新WEBコミック誌「COMIC Hu」11月19日ついに創刊!
SFアクション漫画「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一さん(2023年に68歳で死去)の作品を集めた企画展が、兵庫県宝塚市武庫川町の市立手塚治虫記念館で開かれている。寺沢さんはデビュー前に手塚治虫の手塚プロダクションでアシスタントをしていた縁があり、直筆原稿など計約100点を展示している。
SPACE ADVENTURE COBRAの作品一覧|寺沢武一
このエピソードから登場するクリスタルボーイ、このデザインが秀逸。この巻のラストでコブラに破れますが、作者としても勿体ないと思ったのか、一回限りのキャラクターで終わらず今後も登場。コブラの最大のライバルにまで変貌します。
かっこよ 不死身の英雄コブラ兄弟 が寺沢武一公認かるた ..
寺沢さんは北海道出身。1976年に上京して、手塚に師事。78年に独立し、週刊少年ジャンプでデビュー作「コブラ」の連載を始めた。左腕にサイコガンを仕込んだ宇宙海賊が星々を飛び回り、悪の組織を退治するストーリー。80年代からは作品制作にコンピューターをいち早く取り入れ、デジタルコミックという新たな分野を切り開いた。
COBRA 1巻|無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア|寺沢武一
漫画家 寺沢武一の作品の情報や関連ニュースを伝えます。レポーターは主にダックとときどきツタン仮面、さらにときどき地球人。
寺沢武一さん死去 「コブラ」憧れカズレーザーはQさまVでSNS複雑「両方ともトレンドに」 ..
マンガ『』の第1話は、海賊ギルドとの長年の闘いに疲れたが、顔を変え、記憶を消して平凡なサラリーマンとして生活していたにもかかわらず、「を駆使した夢(トリップムービー)」を観に行ったのをきっかけに、記憶が蘇る、というエピソードでした。
後日知ったのですが、映画『』の原作となった、の中編小説『追憶売ります』を元ネタにしていたんですね。
いまだったら、「パクリだ!」とネットで炎上しそうなのですが、1980年代の前半くらいは、海外SFはまだ日本では一部の好事家が嗜むもので、僕はその「未来感」に痺れたのです。
海外から輸入してきただけで、日本では新しかった、という時代でもあったのでしょう。
当時は、『LOGIN』などの雑誌で海外SFがよく紹介されていて、僕もJ・Pホーガンの『星を継ぐもの』くらいは読んでおかなくちゃな、と思って買ったものの、あっさり跳ね返されてしまった記憶があります。SFもこのくらいは「課題図書」だろうといろいろ手に取ってはみたけれど、当時の僕が「楽しめた」と言えるのはの『』と、の『』くらいだったなあ。
SFハードボイルドマンガ『コブラ』の連載開始45周年を記念し、原作者・寺沢武一の正式な監修を受けた複製版画が登場。
『』は、にかかわったヒロインたちがほとんど死んでしまったり(けっこうひどい殺されかたをしているケースも多いのですが、今から考えると、はひとりひとりの死をそんなに引きずっていないよなあ)、どんどん「進化」していく「最終兵器」の描写が出てきたり、寺沢先生は世界ではじめて「CG(コンピューターグラフィックス)でマンガを描いた」ことが話題になったり、いろんな記憶があります。
あの頃は、「CG」というだけで、すごいことをやっている!と嬉しくなったものです。僕が少年だったこともあって。
寺沢武一 原画展 ART of コブラとか。 □作者プロフィール
の企画展「デジタルマンガの先駆者 寺沢武一展 ~元・のアシスタント~」が、11月1日から2025年2月19日まで兵庫・記念館で開催される。
『コブラ』寺沢武一氏のSNSに不適切画像 プロダクションが謝罪
1976年に上京し、手塚プロダクションのマンガ部スタッフとして手塚治虫に師事した寺沢。手塚プロ在籍中に「大地よ、蒼くなれ」が手塚賞の佳作に入選し、1978年に週刊少年ジャンプ(集英社)でデビュー作「コブラ」の連載をスタートさせた。またアナログでの作画が主流だった中、デジタルでマンガを描く手法の先駆者でもあったという。
兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館で、宇宙海賊の活躍を描いた「コブラ」で知られる漫画家寺沢武一さんの企画展が開催中。2025年2月19日まで。
ここに生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお知らせいたします。なお、葬儀は家族のみで行います。寺沢武一の冥福をお祈りください。2023年9月11日株式会社寺沢プロダクション 代表 古瀬 学
SF漫画の金字塔『コブラ』や『ゴクウ』などのヒット作で知られる漫画家・寺沢武一さんが8日、心筋梗塞のため亡くなったことが伝えられた。
寺沢武一ファンのみなさまへ(訃報)
漫画家・寺沢武一は2023年9月8日に永眠しました。
3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした。…
御冥福を祈ります · やっぱり、コブラはいいなあ · 是非ともCGが上手な… · いろいろなシーンでコ… · 寺沢先生の作品はみな…
3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした。