箱根登山鉄道アレグラ号のうち2019年に増備された3003号と3004号を製品化! 詳細 ..
箱根登山鉄道は2019年10月の台風19号による土砂崩れなどの被害で、箱根湯本~強羅間を長期運休中です。当初は2020年秋の運転再開を目指して復旧作業を続けてきましたが、昨冬は降雪が少なかったことなどから工事が順調にすすみ、7月23日に全線で運転を再開することが決まりました。
箱根登山鉄道 3000形アレグラ号 運転の内容について書かれたブログの一覧ページです。
ケーブルカーの行違い所のポイント(分岐器)は一般の鉄道とは構造が異なります。ケーブルカーのポイントは(図1参照)のように外側のレールには切れ目がありませんが、内側のレールにはロープを通すための切れ目があります。このポイントに対応するために車輪も一般の鉄道とは大きく異なった形態となっています。その形態とは(図2参照)に示すように溝車輪と平車輪が左右一対に配置され、一般の鉄道のように左右の車輪は車軸によって結ばれることはなく、それぞれ独立して懸架されております。さらに走行用のレールとレールの間にはワイヤーロープを支えるための誘導滑車が取り付けられております。
01編成(ケ11-ケ21)は早雲山駅側に向かって右側の車輪が溝車輪、左側が平車輪です。
したがって02編成(ケ12-ケ22)は早雲山駅側に向かって右側の車輪が平車輪、左側が溝車輪です。
01編成(ケ11-ケ21)、02編成(ケ12-ケ22)のいずれも早雲山駅に向かって外側の切れ目のないレールを溝車輪がはさみ込み、内側の平車輪はレールの上を転がりながら走りますので行違い所では常に同じ側を走ることになります。因みに01編成は早雲山駅に向かって右側を02編成は左側を走ります。なお、平車輪はレールの切れ目を通過するため平らになっております。
強羅〜早雲山間の標高差209m、1.2kmを約10分で結んでいます。開業は大正10年(1921年)です。現在運行しているのは2020年3月にデビューした5代目のケーブルカーで、箱根の景色に調和するシンプルなデザインとなっています。箱根登山ケーブルカーの車両は2両編成で車内は傾斜に合わせた階段状となっており、各車両の行き来ができることが特徴です。
箱根登山鉄道によると、名前も基本仕様も同じ「アレグラ号」ながら、2両 ..
この鉄橋は登山電車敷設工事のなかでも最大の難関でした。橋梁架設をするには非常に困難な地形のため、川床から架設部まで43もの足場が組まれて工事が行われました。山の中にかかるこの橋は箱根登山電車の名所です。通過は一瞬ですのでお見逃しなく。
この鉄橋は登山電車敷設工事のなかでも最大の難関でした。橋梁架設をするには非常に困難な地形のため、川床から架設部まで43もの足場が組まれて工事が行われました。山の中にかかるこの橋は箱根登山電車の名所です。通過は一瞬ですのでお見逃しなく。
登山鉄道新型車輌 300形「ALLEGRA」25年ぶりの新車両です。運行 ..
【箱根登山電車】年末年始運行ダイヤおよび箱根駅伝開催に伴う混雑について
【箱根登山電車】3000形「アレグラ号」10周年記念キャンペーン第2弾を開催
「箱根登山鉄道 3000形アレグラ号 運転」に関する動画(16/0ページ)
箱根湯本から強羅までの8.9kmを約40分かけて山間を走る日本で有数の本格的な山岳鉄道。1919年開業の歴史ある電車で、粘着式鉄道では最も急勾配となる80‰(パーミル)の勾配をのぼる姿は圧巻。鉄道好きにはたまらないスイッチバックも特徴です。
箱根登山鉄道に乗り換える。
2014年登場の最新鋭3000系電車、アレグラ号。アレルギー治療薬としか思えない名前。サノフィや久光製薬にとっては、タダで宣伝してくれているようなものなので、とっても美味しいと思う。いっそのこと、大野智を使ったラッピング広告でも出してみたら?
箱根登山鉄道3000形電車 徹底ガイド | レイルラボ(RailLab)
現在当社に残っている記録には、当時の模様をこのように伝えています。 登山鉄道の車両は、車体が日本車両製造㈱製で電気部品はアメリカ製、散水装置と4種類のブレーキを装備していることが最大の特徴でした。現在運用中のモハ1形登山電車(104-106)は、様々な改良が施されて外観も大きく変化していますが、登山鉄道開業以来、現在も箱根の山を元気に走り続けており、当時の技術水準の高さがうかがえます。
箱根登山鉄道3000形電車 の編成表です。 すべて; 廃止0; 運用中2; 転属0; 編成改 ..
オリジナルカクテルは、ラウンジで夜空を見ながら“大人の時間”を愉しめる一杯「バーミリオン」をどうぞ。
このカクテルは、アレグラ号の緋色(ひいろ)や茜色(あかねいろ)をベースとした車両の基本カラー「バーミリオンはこね」をヒントにしたオリジナルです。“情熱”を象徴する「パッションフルーツリキュール」と、“究極の愛”を意味する紫のリキュール「パルフェタ・ムール」を使用し、“情熱の愛”という意味を込めております。
グラスは、駆け上る登山電車をイメージし、ミントシロップと塩で螺旋にデコレーション。ミントシロップで箱根の森を、グラスに沈んだブルーキュラソーで芦ノ湖を表現しています。さらに、くし形のレモンを添えて、夜空に浮かぶ三日月に見立てました。
リキュールやキュラソーにレモンジュースを加え、甘味と酸味、ほのかな苦味のあるバランスが取れた上品な味に。女性も親しみやすい爽やかな飲み心地となっています。
ニュース画像:アレグラ号 - 「箱根登山鉄道、「アレグラ号」を
1919(大正8)年6月1日、登山電車は箱根湯本-強羅間8.9キロの運転を開始しました。 「箱根の山は、天下の嶮として滝廉太郎先生の名曲によって、豪快勇壮なメロディで天下に謳いはやされたように、徳川300年夢安からしめた要害であったが、今や文化の威力に征服されて、我国唯一の登山電車が開通し、ために山上山下の交通上に一大センセイションを起こして観光ルートを一変するに至らしめた。(中略)ここに、天嶮と謳われた箱根の難所も、今は自然公園とも一大遊園地とも謳われるほどに大衆化されて、同年6月1日から近代文化を表象したスマートな登山電車が走り出し、乗客はそのスリルと車窓からの展望美を賞賛したことであった」
箱根登山鉄道 新型車両3000形“アレグラ号”デビュー/小田急 箱根 ..
登山鉄道敷設工事は地勢の関係から、湯本-大平台間を第1区、大平台-強羅間を第2区として着手されましたが、もっとも難航をきわめたのは、早川橋梁(通称「出山の鉄橋」)の架設工事でした。川床から架設部まで43メートルの足場組みだけでも大変な労力と日数を要したのに加えて、大戦中で橋梁の材料輸入は途絶、やむなく鉄道院払い下げの天竜川橋梁を転用して架設しました。
3000形アレグラ号/箱根登山ケーブルカー 箱根登山鉄道運転席展望 箱根
1907(明治40)年、スイスにおける登山鉄道の実況を視察して帰国した某名士の、景勝地箱根に観光誘致のための登山鉄道を敷設すべきという強い勧めを伝えられた小田原電気鉄道は、1910(明治43)年、登山鉄道敷設のための調査・研究を開始しました。 当初の設計は、湯本-強羅間7.1キロに軌間1,372ミリ、最急勾配125パーミルで敷設、急勾配区間はアプト式を採用するというもので、工事施工認可も下りていましたが、小田原電気鉄道では万全を期して、同社の主任技師長半田貢を登山鉄道の実情視察・調査のため、欧米に派遣しました。その結果、改訂された新設計案はアプト式ではなく、ヨーロッパ各国の登山鉄道と同様に粘着式が採用され、出山・大平台・上大平台の3ヵ所にスイッチバック線を設けることにより、最急勾配は80パーミルに緩和されました。また、自然を損なわないように、軌道は山ひだをぬうように設計されたため、最小曲線半径は他に類をみない最急の30メートルになりました。
箱根登山鉄道 3000形「アレグラ号」! / 白いロマンスカーで行く
2014年11月から営業運行を開始した「アレグラ号」のデザインは、箱根ハイランドホテルの「森のレジデンス」をはじめ、小田急ロマンスカーの50000形電車「VSE」や60000形電車「MSE」などを手がけた「岡部憲明アーキテクチャーネットワーク」が担当。発表によると、展望窓の設置など「箱根の移動風景を生かしたモビリティデザイン」が評価されたそうです。
箱根ハイランドホテルでは、箱根登山鉄道「アレグラ号」の「グッドデザイン」受賞記念として、オリジナルカクテル付きの特別宿泊プランをご用意いたしました。
TOMIX HO-610 箱根登山鉄道3000形 アレグラ号
撮影終了時には、小田急箱根登山鉄道のスタッフ様より、可愛いお土産をもらいました。登山鉄道グッズです♪お2人もとっても喜んでくださって私達も嬉しかったです。
2024.12.25 【箱根登山電車】3000形「アレグラ号」10周年記念キャンペーン第2弾を開催 ..
1890(明治23)年5月、第3回内国勧業博覧会にアメリカから輸入された電車が出展されたのをきっかけに、小田原馬車鉄道でも電化計画の審議が始められました。小田原馬車鉄道は、その人気の高まりとはうらはらに、経営状態は決して良好とはいえず、馬匹を80頭前後もかかえていたため、飼料の出費は大変なものでした。電化計画によって馬車鉄道の持つ矛盾を一挙に解決して経営を立て直そうとしたのですが、電気鉄道は当時の日本においては未知数の事業でしたので、調査・研究は慎重に進められることになりました。 小田原馬車鉄道の電化計画は、幾多の難関と紆余曲折を経て、ようやく1896(明治29)年7月18日に電気鉄道敷設の免許を取得するに至りました。同年10月15日には、商号を小田原馬車鉄道㈱から小田原電気鉄道㈱と改め、電化計画は実施の段階へと移りました。 まず、電力供給のために最新鋭設備の湯本茶屋発電所を建設、ついで電化工事が着々と進められ、1900(明治33)年3月21日、小田原電気鉄道は国府津-湯本間全線の運転を開始しました。十数年にわたって親しまれてきた小田原馬車鉄道は小田原電気鉄道の営業開始前日で廃止されましたが、小田原電気鉄道の開通とともに小田原の町に電燈電力の供給事業も始められました。この電車の登場は、箱根・小田原地方に近代文化をもたらす重要な出来事だったのです。
箱根登山線の停車駅 · 小田原 · 時刻表 · 駅情報 · 出口・地図
東海道線が新橋-横浜間に開通したのが1872(明治5)年。これが国府津まで延長され、開通したのは1887(明治20)年のことでした。しかし、国府津以西の延長計画の中には小田原は含まれていませんでした。箱根・足柄越えについては、松田-山北-御殿場のルートが、その路線として採用されていたからです。
当時、東海道線幹線上から外されることは、近代文化からとり残されるということでした。江戸開府以来、東海道の主要な宿場町として栄えてきた小田原の人々にとっては耐えがたく、しかも現実に箱根への湯治客の足が遠のくことにより悲観的にならざるをえませんでした。そこで計画されたのが、国府津-小田原-箱根を結ぶ私設鉄道敷設計画案でした。 1887(明治20)年11月20日、小田原の有志吉田義方が発起人代表となり、国府津-湯本間の馬車鉄道敷設の請願書を神奈川県庁に提出しました。翌1888(明治21)年2月21日に免許されると、当社の前身となる小田原馬車鉄道㈱が設立され、初代社長には吉田義方が就任しました。
馬車鉄道敷設工事は官公庁をはじめ、地元有力者の強力なバックアップのもとに進められ、全工程をわずか7か月という短期間で完了しました。松原神社の裏手に厩舎が建てられ、車両はイギリスから6両、アメリカから5両購入されました。 1888(明治21)年10月1日、華やいだ雰囲気の中で全線の営業が開始されました。起点は東海道線国府津停車場前、終点は湯本の旭日橋の手前広場で、この間12.9キロ、軌間は1,372ミリでした。この鉄路の上を2頭立ての馬車が、多くの箱根・小田原の人々の期待や、遠来の湯治客の希望をのせて走ったのでした。
デビューは5月!箱根登山鉄道「アレグラ号」増備の2両編成を公開
強羅と早雲山を結ぶ箱根登山ケーブルカーでは、3月に新型車両がデビューしており、登山電車のアレグラ号(3000形)と乗り継ぐ旅も実現します。
箱根登山鉄道は4月20日、車両基地の入生田検車区(神奈川県小田原市)で3100形電車「アレグラ号」を報道陣に公開した。
●アレグラ号10周年 ×「エキタグ」鉄道線全駅導入記念 箱根登山電車デジタル駅スタンプラリー