東京都文京区、水道橋駅から徒歩5分のプロレスマスク専門店【DEPOMART】(デポマート)のショッピングサイトです。



尾上右近とTravis Japanの松田元太、MARIA-Eが1月8日、都内で行われた映画「ライオン・キング:ムファサ」ムファサ&タカ応援上映会に出席。息ぴったりに劇中歌を熱唱した。

■松田元太、演じる上で工夫したことを明かす

超実写版「ライオン・キング:ムファサ」は、2019年に公開された超実写版「ライオン・キング」(ディズニープラスで配信中)の前日譚。息子シンバを命がけで守った父ムファサ王の若き日を描く、ディズニー史上最も温かく切ない“兄弟の絆“の物語。シンバの父ムファサと、かつては“タカ”と呼ばれたヴィランの弟スカー。孤児ムファサを偉大な王にした、知られざる若き日の兄弟の絆と、そこに隠された秘密とは?尾上が主人公・ムファサを、松田がタカ役を演じる。

ライオンの王子からヴィランのスカーとなるタカを演じる上で工夫したことを聞かれると、松田は「かわいらしいタカの一面や、スカーになる瞬間など、過程をより大事に声で演じたいなというのはありました」と回答。「世界にも『ライオン・キング』のファンの方はたくさんいらっしゃいますし、もちろんディズニー作品を愛している方もたくさんいらっしゃるので、傷をつけないように…泥を…?傷を…?」と言葉に迷いながら「大事に丁寧に誰よりもタカを愛しながら演じさせていただきました」と語った。

右近は松田のタカについて「心が込もっています。『誰よりもタカに寄り添って、誰よりもタカに対して愛情があります』って取材のときに断言していたげんげん(松田)の姿を見ているんですけど、本当にその通りなんだと思います」とコメント。「だからこそ、技術もすごく大事だと思うんですけど、気持ちを注ぐことをやり切ったタカだとつくづく感じました」と絶賛した。


■劇中歌を熱唱
イベントでは、右近とMARIA-Eが、ムファサとサラビが互いに芽生えた恋心について歌うラブバラード「聞かせて」を生披露。さらには右近と松田が劇中歌「ブラザー/君みたいな兄弟」を楽しそうに熱唱した。

会場は大盛り上がりで、歌唱後は松田も「楽しかったですね!」と笑顔。右近が「実はこれ、歌舞伎のお化粧する準備のときに聞いてる」と口にすると、松田も「俺、昨日ライブだったんですけど、ライブの後シャワー浴びるときとか、歌いながらシャワー浴びてます」と声を弾ませた。


◆取材・文=山田果奈映


「P ザ コブラ」のアイデア 32 件 | コブラ, レスラー, プロレス

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら。

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら。

コブラ ザ、サイコガン 3。特別版。 【最終出品】新日本プロレス ジョージ高野(ザ・コブラ)選手直筆.



***

――今回の語り継ぎたい名勝負はどの試合でしょうか?

「前回、2代目タイガーマスクについて語りましたから、そうなると同時期のマスクマンであるザ・コブラを話さないわけにはいきませんね」

――ザ・コブラは、新日本プロレスのジョージ高野さんが、海外遠征中の1983年夏にカナダのカルガリーで変身したマスクマンですね。

「そうです。さまざまな試合がありますが、その中でパラレルワールドに入るというか、すべてが歪んでしまった試合があるんですよ」

――どういったことなのか気になりますね。その試合は......。

「ザ・コブラvsザ・バンピートです。俺はこの試合をテレビで見ていたんですが、『これはなんやねん!』という、理解ができない衝撃が色濃く残っています」

――この試合は1983年11月3日に蔵前国技館で、NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦として行なわれました。コブラは日本のマット初登場の"凱旋マッチ"でしたね。

「この試合は、両者の入場シーンが今でも語り草になっています。まずバンピートが入ってくるんですが、明らかにマスクとタイツのカラーコントラストが悪いんです。

タイツはブルーを基調に赤色の星などを散りばめたデザインなのに、マスクは白ベースに赤いコウモリが描かれていた。『もう少し色味を合わせられなかったのか?』という違和感を覚えざるを得なくて。しかも、上半身が『ホンマにジュニアなんか』というくらいデカかったんで、そこで頭が混乱し始めました」







***

――異様な展開の連続だったザ・コブラvsザ・バンピートですが、試合中にさらなるあり得ないことが起きたそうですね。

「当時、俺はこの試合を大阪の自宅で見ていたので、映像はテレビ朝日系列のABC朝日放送で流れていたんですが......その試合映像が途中で止まったんです。試合がストップして、コブラのテーマ曲が流れて、フォトムービーみたいに試合の模様が写真で紹介されました。あの有名なCMのように、小田和正さんの『時をこ~えて』という歌声が聞こえてきそうな感じですよ」

――試合の映像が止まって、写真が画面に映ったんですね?

「そうです。ワールドプロレスリングはテレビ朝日のネット中継なので、地方局であるABC朝日が独自に編集することはあり得ないはず。もしかすると、この試合の入場シーンで俺の脳がバグってしまったから、記憶が混濁しているのかもしれない。なので、本当に試合が止まって写真だけになったのか、誰かに調べてほしいんです」

――新日本プロレスの公式動画配信サービス『新日本プロレスワールド』は、ザ・バンピートがマスクを脱ぐシーンから、最後にコブラが勝つ結末まで流しています。試合映像が止まったことが事実なら、どうしてそんな放送になったのかが気になりますね。

「俺もABC朝日放送の関係者に聞いてみようかなと思ってます。とにかく、その時の記憶が本当なのかを解明したいんです。本当は最後まで放送されていたのに、混乱していた俺が『週刊プロレス』や『週刊ゴング』などで見た試合の写真のほうを覚えていて、フォトムービーで終わったという記憶にすり替わっている可能性もありますから」

悲劇のマスクマン「ザ・コブラ」〜1983-86 新日本プロレス ジョージ高野

もうこの時点でバラしてるわけですが、このザ・コブラを検索すると中の人バラし以上に衝撃の結果が。

今回標的になったのはザ・コブラ。新日本プロレス→SWSを渡り歩いた、一時はポスト猪木なんて声もあったジョージ高野が中の人。

カナダ・カルガリーに転戦し、ここでマスクマンのザ・コブラに変身。 83年9月 ..

伝説のプロレスラー、元IWGP,SWS タッグチャンピオン、ジョージ高野&元NWA世界、WWF Jr.チャンピオン ザ・コブラ オフィシャルショップです。
本人納入モデル試合用マスクを始めプレミアムTシャツなどを販売致します。

キッド、スミスが全日本プロレスへ移籍したため、コブラはブラック・タイガーとMSGで王座決定戦を行って破り、初代タイガーマスクに次ぐNWA、WWFジュニアの二冠王となり、ヒロ斎藤と抗争を繰り広げるも、新日本がWWFと提携を解消したことで両王座は返上、それに伴ってIWGPジュニアヘビー級王座が新設、王座決定リーグ戦が行われ、コブラは優勝決定戦に進出して全日本プロレスから移籍した越中詩郎と対戦したが、スペース・フライング・タイガー・ドロップは飛距離が足りずに失敗し、ダイビングボディープレスも剣山で迎撃されたコブラは越中のジャーマンに敗れ王座奪取はならず、越中を破って2代目王者となった高田伸彦と対戦したが、両者リングアウトで王座は奪えず、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消え、ヘビー級へと転向した高野がリングに登場したが、越中に敗れた時点でコブラとしての役目は終わってしまっていたのかもしれない。


【ドラディション】巨大化したザ・コブラが軽やかなフットワークで敵陣営を翻弄! ..

十数年ぶりにリング復帰したザ・コブラが、かつてのライバル・ヒロ斉藤とタッグを結成し、KENSO&ブラック・タイガー組と対戦。

覆面レスラー「ザ・コブラ」をGoogle検索したら衝撃の結果が

コブラとしての地位をカナダで築く中で、初代タイガーマスク引退によってジュニアヘビー級のニューヒーローを輩出するために、新日本プロレスはジョージをコブラとして1983年10月末に緊急帰国をすることになった。

「会社の命令よ。自分としては素顔でもマスクマンでもどちらでもよかったけど。まだカルガリーにいたかったよ。ちょうどヒートしてきてさ、一番いい時だったからね」

1983年11月3日蔵前国技館で行われたザ・コブラの日本デビュー戦はタイガーがかつて保持していたNWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦。
対戦相手のザ・バンビートはライバルのデイビーボーイ・スミスだった。
入場から「ニューヒーロー誕生」の演出から会社からの期待が伺えた。
スモークが炊かれた花道を複数のマスクをつけたセコンドが担ぐ神輿の上にコブラが乗って姿を現した。
城のタキシード風のジャケットを身にまとったコブラはトップロープに乗ってからバック宙してド派手に入場してきた。
だが、試合は思わぬ方向へ…。

試合前にバンピートが自らマスクを取ってコブラに襲い掛かると、期せずしてキッド・コール!スミスはキッドの従兄弟だけに顔と体型が似ていたため、ファンは勘違いしたのだ。こうなると誰もが、この試合をタイガーマスクVSダイナマイト・キッドに重ねてしまう。これがコブラにとって悲劇となった。今、改めてVTRを検証してみると、モンキーフリップを回転して着地してのドロップキック、トップロープに飛び乗ってのサマーソルト…と、コブラの動きは悪くない。だが、トップロープ越しのトぺ・スイシーダをあっさりかわされて豪快に自爆すると大爆笑が発生。これがコブラの致命傷になってしまった。いくら運動神経がよくても188cm 99kgのコブラが73cm 90kgのタイガーマスクと同じ動きを求められたら無理がある。しなやかで緻密だったタイガーマスクと比べると大味で粗雑に見えるのも仕方のないことだ。だが、タイガーマスクの幻影を求めるファンにとってコブラは完全に期待外れだったのである。
【プロレス覆面レスラーの正体/双葉社】

ニューヒーロー誕生と思われたが、これは"しくじり"プロレスラー誕生を意味していた。

後に新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーはコブラについてこのようなことを語っている。

「コブラは俺のデビュー戦よりできているし、ものすごいカッコいいんですよ。だから会社もファンも無理にコブラをタイガーマスクの後継者として見ることなく、動けるヘビー級戦士という感じで見れた状況は違っていたのではないだろうか」

周囲のコブラに対して乗れない状況下でも、当本人は…。

「別に私は二番煎じのつもりもないし、プレッシャーも全然なかった。佐山さんの仕事は佐山さんの仕事、私の仕事は私の仕事だから」

ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、小林邦昭といったライバル達は全日本プロレスに転出する中でライバルにも恵まれなかったのも痛かった。
同世代のヒロ斎藤と抗争を繰り広げた時期もあったが、そこまでブレイクすることはなかった。

だからといってコブラのムーブはタイガーに負けて劣らないものがあった。
ジャーマン・スープレックス・ホールドやタイガー・スープレックス・ホールドといったスープレックスは高角度で美しく、ドロップキックはタイガーよりも打点は高かった。また、メキシコ仕込みのセントーン、プランチャは独特の味があった。フライング・ニールキックやローリング・ソバット、コーナーに振り向きざまにセカンドロープに飛び乗り、反転するように相手に胸板に稲妻レッグラリアットの要領でキックを放つ「スコードロン・サンダー」というオリジナル技まで持っていた。
だが、それらの四次元殺法や持ち前の運動神経や身体能力も、試合運びの粗さと繋ぎ下手な部分が仇となり、これらのムーブの凄さが伝わらなかったのではないだろうか。華麗な技を多用するから天才なのではないし、プロレスセンスがあるわけではない。ジョージのプロレスには"説得力"がなかった。

その要因はもしかしたら紙一重なのかもしれない。
だが、その紙一重が大きな"しくじり"を生むのだ。

WWFジュニアヘビー級王座やNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得するもどこまでもコブラはヒーローにはなれなかった。

1986年2月6日の前国技館にて越中詩郎との初代IWGPジュニアヘビー級王座決定リーグ戦・決勝戦に敗れ、さらに後輩のUWFの高田延彦(当時は高田信彦)が保持するIWGPジュニア王座に挑戦した際に、高田に結果は引き分けるも、内容では圧倒された。

時代はどこまでコブラに冷たく、見放し続けた。
高田戦を最後にコブラはマスクを脱ぎ、カナダへ渡った。
1986年7月にヘビー級に転向し、素顔のジョージ高野となって凱旋した。

ヘビー級となったジョージの体重は最大で115kgに増加するも、動きは落ちることはなかった。
だが、一度しくじったレスラー人生はなかなか軌道修正はできない。
1年、2年と浮上することなく、前座戦線を彷徨うジョージだったが、スーパー・ストロング・マシンとのコンビ「烈風隊」でタッグ戦線に参入し、1989年3月16日に長州力&,マサ斎藤を破り、第9代IWGPタッグ王座を獲得した。
この頃がジョージにとって最も輝いた時期なのかもしれない。

1990年4月1日、ジョージは新日本プロレスからメガネスーパーが運営する新団体SWSに移籍する。一説によるとメガネスーパーとの繋がりが強かったドン荒川と仲が良かったジョージが荒川の誘いと大金につられてこの移籍を決断したとも…。

当時のジョージはどこか新日本で燻っていた。
長州力、藤波辰爾といったトップレスラーと勢いに乗る後輩・闘魂三銃士の狭間でジョージは"中二階"で甘んじていた。新日本のエース候補やスター候補と呼ばれていた男にIWGPヘビー級挑戦のチャンスは遂に一度も回ってこなかった。

大相撲のような部屋制度を設けていたSWSでジョージは「パライストラ」という部屋の道場主(エース)となった。
立ち位置としてはレボリューションの天龍源一郎、道場・檄の谷津嘉章と共にSWSのトップ3という大役だった。

SWSではタッグながら天龍からフォールを奪い、後にWWE世界王者となるブレット・ハートをシングルマッチで破るなど奮闘するも、やはりしくじった運命を変えるまでに至らない。
高野俊二との高野兄弟でSWSタッグ王座を獲得するも、1992年6月にSWSは内部分裂、解散の末路を辿っていった。

その後、ジョージはさらに迷走していく。
ケンドー・ナガサキとの新団体NOWは、旗揚げ戦後に俊二と共に離脱し、PWCという団体を旗揚げする。
この頃のジョージについて、当時新人レスラーだった保坂秀樹はこう語る。

「ジョージさんは基礎練習が凄く好きなんですよ。朝4時くらいに道場に現れて練習するんですけど。まだ道場で練習するならわかるんですけど、道場の前に空き地があって、石とかでボコボコなんですよね。そこにビニールシートを広げて"極め合いするぞ!"と。石でボコボコでヒザもつけないようなところでやるんですけど。道場にリングがあるんですよ?(笑)。たぶんですけど、あの頃はU系全盛だったから、ジョージさん、UWFに憧れていたと思うんですよ。ジョージさん、格闘技系のスタイルが好きだったんですよね。だからって空き地で練習する意味がわからないですけど(笑)。ジョージさんは"霊が見える!" 、"これは何か取り憑かれてる……"とか真顔で言いだしたりしますから。あと俊二さんといつもケンカするんですよ。考え方の違いなんですかね。ボクが知るかぎり兄弟の仲は良くなかったですね。最後は安達さん(ミスター・ヒト)が包丁を持ち出して"ケンカはやめろ!"って止めるのがいつもの光景で」

俊二と仲違いし、PWCを離脱したジョージは妻の実家がある北海道釧路市にFSRという団体に設立し、他のインディー団体にたびたび参戦する。
FSRは活動停止、福岡県に移住したジョージはそれでもリングに上がり続けた。
静観で筋肉質な肉体はいつの間にか贅肉に覆われたカッコよくない中年太りな肉体へと変貌していた。
時代と共にジョージの肉体は衰えていった。

その後、橋本真也が旗揚げしたゼロワンの初期に参戦したり、古巣・新日本にゲスト参戦するも、かつての輝きを放つことはなかった。

仕事も転職していた。
引退はしていないものの、外壁の施工工事の仕事や電柱を埋める仕事をしたりと仕事も彷徨った。NPO法人を設立したり、システム会社の重役になったり…。またアントニオ猪木が設立したIGFに関わることもあった。現在はどこで何をしているのか…。

「やっぱりプロレスは継承をされるものだから。今でも私はザ・コブラを継承する人間を作りたいと思っている。私はまだ引退発表をしていないし、弟と何かをしたい気持ちはある」

翻弄され、放浪のレスラー人生を送ることになったジョージ高野には果たして栄光などあったのだろうか。素材は天才、いや逸材級だった。しかし、それに見合った活躍も実績も残すことはできなかった。それもすべてにおいて紙一重の部分だった。もしかしたら、紙一重の部分が巧く合致していたら、ジョージは時代を味方にし、日本プロレス界を代表するスーパースターとして語り継がれていたのかもしれない。
だが一度しくじった歯車は止まることなく、転落していった。
それがジョージ高野という男のレスラー人生だった。

2004年に発売され、NHKアテネ五輪中継の公式テーマソングとして大ヒットしたゆずの「栄光の架橋」にはこんな歌詞がある。

悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
(中略)
いくつもの日々を越えて
辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと…
【ゆず/栄光の架橋 2004年】

光り輝くべき男には栄光なんてなかった。
それでもジョージ高野は我々の心に残り続ける伝説のプロレスラーだった。

「悲しみや苦しみの先に、それぞれの光がある」

人々の心へ続く架橋をかけることができるのは栄光を摑んだ者だけではないのかもしれない。

栄光なき逸材に、乾杯!!

ザ・コブラ プロレスマスク わかり易 ; ギフト専門サイト · の認知度No.1※ ; 全ショップ · 審査実施 ; 商品情報

ジョージ高野(ジョージたかの / George Takano、1958年6月23日 - )は、日本のプロレスラー、元大相撲力士。本名:高野 讓治(たかの じょうじ)。福岡県北九州市出身。ザ・コブラ(The Cobra)のリングネームで覆面レスラーとしても活躍した。大相撲時代の四股名は高野(たかの)。プロレスラーの高野拳磁は弟、全日本プロレスに短期間在籍した高野直樹は従兄弟。

ザ・コブラ 膝マーク The cobra knee logo https ..

ジョージ高野(ザ・コブラ)の試合情報をご紹介します。試合のチケット情報や関連画像、動画、記事など、様々な情報コンテンツをお届けします。

今の時代のシステマチックなプロレスなら絶対トップレスラーになれたと思います!!!


ザ・コブラ & 〇ヒロ斉藤
(13分02秒 ダイビングセントーンから体固め)
×ブラック・タイガー & KENSO

『ザ・アウトロー』続編が全米初登場1位 予想を上回る大ヒット(The Hollywood ..

それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷してしまう。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻るとスミスはミサイルキックをを狙うが、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗、しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠け、技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。