7000cc、550馬力、新車!?日本で初めてコブラ427の ..
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「コンノート」という名前は日本では殆ど知る人がない。もし知っているとすれば1950年代の「F1」に興味のある人か、ミニチュアカーのコレクターくらいだろう。第2次大戦後1940年代の英国は緊縮財政を敷いていたから物資が欠乏し、車を売りたくても売る車がないような状態だった。コンノートはF1活動を始める前の1948年、「リー・フランシス」をベースにしたスポーツカー「L2」を6台作っている。F1(F2)には1952年から59年まで活動し最高位は1956年イタリアGPの3位止まりだが、小規模コンストラクターとしてマセラティーなどの大メーカーと互角?に戦ったから、イギリスでは人気が高かった。(ノンタイトルではGPで1度だけ優勝している)
「COBRA 427」のアイデア 91 件 | acコブラ, コブラ 車, コブラ
この車を造ったアイゼンハス・ホースレス・ヴィークル社という会社は1904年から1908年まで5年間しか存在しなかった殆ど知られないメーカーだが、1つだけ面白い仕掛けがあるので取り上げた。それは搭載されていた3気筒エンジンで、3気筒が珍しいのではなく、内2気筒が4ストローク(101.6×101.6)、残りの1気筒は2ストローク(177.8×101.6)という組み合わせになっている。4ストローク側の排気はそのまま2ストロークの吸気となり、燃焼効率の悪い排ガスは点火すれば再燃焼するので多少の馬力向上となる。また4ストロークの爆発のインターバルに2ストロークはもう1度爆発しエンジンの回転もよりスムースになる、しかも再燃焼は結果的には排ガスの浄化にも貢献する、とここまで考えていたかは判らないがとにかく面白い発想だ。
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アメリカのフォード社は1950年代初めには各国にフォードを名乗る独立した子会社を持っていた。「イギリス・フォード」、「ドイツ・フォード」「フランス・フォード」などでそれぞれが本社の影響を受けつつも、独自に開発したモデルを製造していた。(日本フォードは組み立て工場で独自のモデルはなかった)この車は今回確認するまではマーキュリー・コメットのカスタム・ボディだと勘違いしていた。しかし実は今は亡きフランス・フォード(1958年以降シムカとなる)の「ヴデット」をベースにしたヴァリエーションだった。
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アメリカンマッスルACコブラ427の中古車は今いくらで買えるの? ショップ ..
1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。
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(3)<コメット> (米・マーキュリー)1960~
1903年に創立されたフォード・モーター社のラインアップは1960年時点では上から「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」となっていた。創立者のヘンリー・フォードは頑固に実用一点張りでT型を造り続けて来たが、1922年息子のエドセルの意見を入れて高級車「リンカーン」を買収し、高級車と大衆車の2本立てとなった。しかし1930年代になるとライバルのGMは「ビュイック」「オールズモビル」「ポンティアック」、クライスラーは「デソート」「ダッジ」、その他独立系でも「ナッシュ」、「ハドソン」、「スチュードベーカー」など、中級車クラスが市場を占める割合が大きくなった。出遅れたフォードには追いつくために適当な買収先が見つからなかったのか、1938年新しく創設されたのが「マーキュリー」で、戦後の1949 年専用のボディが提供されるまではフォードと同じスタイルに一回り大きいエンジンを積んだものだった。しかし1950年代に入ると大型高級化が進み、大衆車フォードの兄貴分だったマーキュリーはいつの間にか高級車リンカーンの弟分と化した。1960年前後になると大きくなりすぎたことへの反省から各社から1930年代に近いサイズに小型化された、いわゆる「コンパクトカー」が発売され、フォードは1959年から「ファルコン」が投入され、翌1960年からマーキュリー」には「コメット」が誕生した。
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(写真10-0)1936 Lincoln Zephyr V12 4de Sedan(2004-01 ブリジストン・ショールーム/国分寺)
「リンカーン」は1930年代「パッカード」「キャディラック」などと並び大型高級車の代表的存在だったが、不況の中各社が格下げ車種で売り上げを確保する中で1936年「リンカーン・ゼファー」を発表した。この車はリンカーンの販売ルートで売られたが、実質はリンカーンの普及版というよりは、フォードのデラックス版プラスαといった存在だった。4384cc V12気筒エンジンといってもフォードのV8をV12に増やした程度の平凡なもので、価格も大型「Kシリーズ」の4~5000ドルに対し1275~1320ドルと段違いに安く、日本では大型リンカーンの顧客に配慮して「リンカーン」とは区別して「リンコン・ゼファー」と呼んだ、と何かで読んだ記憶がある。「コンチネンタル」のベースとなったといわれるのが「リンカーン・ゼファー」だ。写真の車は戦前からブリジストンの石橋幹一郎氏が使用していたもので、レストアに際しては当時のタイヤが手に入らず、アメリカのファイアストーンでオリジナルタイヤのパターンを型から起こして造らせたと伺った。参考に発売当時の日本国内用カタログの一部を掲載した。
こちらは前と同じグレードのコンバーチブルで、このモデルはファストバックの方が格好良く見えるのか、オープン・モデルの方が少ないようだ。
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コブラ 加速&エキゾーストサウンド 【427エンジン(7000cc)】 / cobra exhaust sound 【FE427】 ..
ACコブラの50thアニバーサリーモデル、乗ってみたいですね。乗るとしたら知っておきたい、ACコブラの復刻モデル、シェルビー・コブラ427S/Cの性能について調べてみました。
ベルモット ☆車種 #シェルビーコブラ #シェルビーacコブラ427 ☆中古平均 2065万円 · expofmovie 196
「コブラ」はかなり古くから日本に住みついていた。写真の場所は神戸ポートアイランドにあるイタリア風の雰囲気を持った市民広場で、イベントは「モンテ・ミリア」と名付けられた「ミッレ・ミリア」をイメージしたもので、ミーティングの後、六甲の山道を一巡りするところから「モンテ」(山)となったのだろう。会場は9割までがイタリア車で、遠くから見ると広場全体が真っ赤に見えるほどだった。
今回の労いは、シェルビーコブラ427に乗る蛇女さんが出演している映像を入手致しました‼︎
最初のカタログから、写真のクルマは表紙と同じプロトタイプのもの。中央下の写真は英国サリー州テームズ・ディットンのAC Cars社で組み立て中のプロトタイプで、エンジンマウントやステアリングなどの位置決めのために搭載されているエンジンは221cid(3622cc)ライトウエイト「Challenger」V8で、組み立て後にはエンジンとトランスミッションは降ろされて、1962年2月2日にアメリカへ空輸され、260cid(4261cc)V8 260ps/5800rpm、37.2kg-m/4500rpmエンジン+ボルグワーナー製4速MTが積まれた。特徴のある鋼管スペースフレームにハンドメードのアルミボディーが架装された。
AC・コブラ(AC Cobra 、エーシーコブラ)は1960年代を中心に製造された ..
ACコブラ427の50thアニバーサリーモデルの燃費は搭載エンジンの排気量によって異なりますが、APモデル5000ccエンジンの場合、高速走行で 5~6km/1リッター です。
427は427ci(キュービック・インチ)排気量7,000ccを表しています。 COBRA MEDALLION | コブラメダリオン
260cidエンジンを積んだShelby-AC Cobra Mark Iのスペック。サイズはホイールベース90in(2286mm)、全長151.5in(3848mm)、全幅61in(1549mm)、全高49in(1245mm)、トレッド前/後51.5in(1308mm)/52.5in(1333mm)、車両重量2020lb(916kg)。サスペンションは前後ともAアーム+横置きリーフスプリングの独立懸架、ブレーキは4輪ディスク、ステアリングはウォーム&カム式、タイヤは6.70×15。0 - 1/4mile(402m)加速13.8秒、最高速度153mph(246km/h)。価格は5995ドルであった。Mark Iの生産台数は75台といわれる。
「AC コブラ 427中古」の中古車 | 中古車なら【カーセンサーnet】
※型式/不明、原動機の型式/玉[44]41玉、車台番号/東[41]12●●●東、
※車検証の車名はフォードコブラ
※シリアルナンバー/CCX-3-3326
※年式に関しては、国内登録年を年式として表記しています。
AC コブラ 427中古 ; BACK DRAFT コブラ427 コブラ427 ROUSH
上の4点は1963年にフォードから送られてきたカタログ。289cid(4736cc)270ps/5800rpmエンジンを積んだMark IIモデルでサイズはMark Iと同じだが、車両重量は2030lb(920.8kg)、タイヤは6.40×15。0 - 1/4mile(402m)加速13.8秒、最高速度155mph(249km/h)となっている。車名は「COBRA powered by Ford」でSHELBYもACの名前もない。発行した社名もなく、小さい文字で「Design by Richard C. Runyon, illustration by George Bartell & art directed by Peter Brock」とあるのみ。
といえるのが「ACシェルビーコブラ427」。エンジンは約7ℓのOHVで、スタンダード仕様で425㎰、レース向けのコンペティション仕様に至.
それまでブリストル製の直列6気筒エンジンを使用し、スチール・チューブ・フレームとアルミニウム製のボディパネルからなる独自のモデルを生産していたイギリスのAC社だったが、1961年にブリストルはそのエンジン生産の中止を決定。その報に触れた元レーシング・ドライバーで、その後はシェルビー・アメリカンを設立し、レーシングカー・デザイナーとして活躍していたキャロル・シェルビーは、アメリカ製のV型8気筒エンジンを搭載できる車の設計をAC社に依頼。その一方でシボレーやフォードにエンジン供給の交渉を持ちかけた。
シェルビーACコブラという正式名称が語るように、米英合作車、いわゆる ..
シボレー「コルベット」と同様に、アメリカで熱狂的なファンを持つスポーツカーといえば、それはAC「コブラ」、あるいはAC「シェルビーコブラ」とも呼ばれる、その名前のとおり獰猛な走りを見せる2シーターカーがイメージされる。
126 Cobra 427 Stock Photos, High-Res Pictures, and Images
ボディには艶もあり、全体的に程度は良好ですが、良く見ると下記が挙げられます。
・フロント周辺及び左右のリアフェンダーの前方に石はねによる塗装のチップ
・右のフロントフェンダー前部、左のリアフェンダー前部及び上部、左ドア下の傷
・FRPボディの欠点である塗装のクラック(助手席の後ろ側周辺に3ケ所、右ドア下))
内容的には軽微ですので、タッチペイントで修復が可能なレベルです。
シェルビー コブラ 427 (Shelby COBRA 427)
続いて「マークII」そして65年には「427」とも呼ばれる「マークIII」が発売された。427キュービックインチすなわち7リッターのフォード製V8エンジン搭載車だ。ACコブラというとたいていのひとが思い浮かべるのが、この迫力あるモデルである。
BACK DRAFT コブラ427 コブラ427 ROUSH 2人乗り 色:ダークブルーツートン アルミホイール ..
特に存在感を放っていたのはアメリカンスポーツカーの伝説的な存在「ACコブラ」で、アメ車好きだけでなく、クルマが好きでも、そうでなくても、見惚れてしまう美しさと迫力がありました。
エアコブラ; マスタング コブラ; フォード コブラ; BRA コブラ; コブラ427
コブラは、1962年英国AC社のボディにフォード製V8エンジンを搭載した軽量FRスポーツカーとして誕生した。製作したのはロサンゼルスにあるシェルビーアメリカン社。その代表は故キャロルシェルビー氏だ。
1950年代、彼はアメリカ国内レースで活躍するとその実力がアストンマーチン社に見初められ、1959年ル・マンにドライバーとして参戦し優勝に導いた。翌年、持病の心臓病を理由に引退。一転して今度はレース経験を生かしたクルマ造りに人生を費やすのである。それがシェルビーアメリカン社の誕生になる。
シェルビーアメリカン社が製作を始めた1960年代当初、コブラはライトウエイトスポーツともいえるナローボディをまとっていたが(260、289エンジン搭載)、427エンジンを搭載するにあたり、ここで紹介しているようなフェンダーの張り出したグラマラスなスタイルに進化を遂げる。いわゆるマッスルカー的な演出である。
こうした時代背景を歩んできたコブラは、当然ながら世界中にファンがいる。だからこそレプリカをも世界中に存在するのである(名車だからこその必然)。