#パンクロック #SA#コブラ#ラフィンノーズ #ナオキ#50代 ..


LIP CREAM解散後に、THE COMES、GASTUNKのドラムであったMATSUMURA氏と一時やっていたNOというバンドの企画にも呼んでもらい、一緒にライブもやったが、その後NAOKIさんは表舞台からは退きながらも音楽活動をしていたと聞く。


NAOKIさんが日本のハードコアパンクシーンの中で教えてくれた、愛のある世界の素晴らしさ ISHIYAが綴る追悼文

そんなタイミングでYouTubeからレコメンドされたのが、元ラフィン・ノーズ、現SAのギタリストNAOKIのインタビューです。全4回で、それぞれ20分くらいずつのパートになっています。

ずっと、ぼくの中には「ラフィンのNAOKI」というイメージを引きずっていたのですが、今回のインタビューをみて、そしてSAを聴いて、やっと「SAのNAOKI」に塗り替えられました。

SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.1~

そうした普段の楽しい姿とステージでのギャップも新鮮で、唯一無二と言えるNAOKIさんのオリジナルなギター奏法に影響を受けた人間が、この世界には無数に存在する。

手前味噌になるけど、チャーミーは「愛」を持ってて、俺は「夢」を持ってる。その愛と夢のバランスがラフィンノーズのライブなんちゃうかな。あとは、金があったら最高やねんけど。ダッハハハハハ(爆笑)。でも、たとえ金がなくても、愛と夢さえあればこんなに楽しいぞっていうのをライブの場で観せれる自信はあるね。
うん。愛のないパンクなんか、俺は必要ないから。最近のライブはすごい愛に包まれてるのを感じるのね。うちらがバーンと発信して、お客がそれを受け止めてのキャッチボールやけど、ちゃんとエクスタシーに持っていける……それがラフィンノーズのライブだね。

COBRA「OK RIDE ON」帯付き YOSU-KO NAOKI oiパンク【良品/CD】 #7314です。

「ラフィンのNAOKI」のイメージが強かったから、SAもちゃんと聴いたことがなかったんです。でもインタビューをみたら、やっぱりSAを聴きたくなって、聴いたらこれが‥‥今の時代風ではないかもしれないけど、まさに“男臭い”と形容したくなるパンクロックでした。

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SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.3~

カクタス、ヴァニラ・ファッジ、そしてジェフ・ベックとのB,B&Aさらにはロッド・スチュワート等、輝かしいキャリアを誇る、スーパードラ マー、御年76歳の御大、カーマイン・アピス率いる、KING KOBRAが再結成第三弾にして実に10年振りとなるニューアルバムをリリース!LA メタル全盛の1984年にカーマイン以外すべて金髪の美青年で固めたメンバーで結成。ビジュアル的にも大きな話題となったが、音楽的にもLA メタル全盛の中でライトになり過ぎず、強烈な哀愁を帯びた名曲を数多く収録した翌年のデビューアルバム「Ready To Strike」が大きな話題 となった。1986年のセカンドアルバムでは映画のテーマ曲にもなった「Iron Eagle(Never Say Die)」がスマッシュ・ヒットするなど、順風 満帆かと思われたが、メンバーチェンジなどもありバンドは失速、インディーズからサードアルバムをリリースした1988年にバンドは解散す る。それから22年後の2010年、遂にカーマインは、オリジナルメンバーである、ギターのデヴィッド・マイケル・フィリップス、ミック・ス ウェダ、ベースのジョニー・ロッド、そしてシンガーにはラフ・カット、クワイエット・ライオット等、誰もが認める実力派シンガー、ポー ル・ショーティノを加え、バンドを再結成させる。翌年、バンド名を冠したアルバム『KING KOBRA』をリリース、シーンに歓迎される。その 後バンドは同メンバーで再結成第2弾『KING KOBRA II』をリリース、ライヴも行うなど順調な歩みを続けるように思えたが、10年の月日が 流れた2023年の今年、ようやく再結成第三弾の本作『We Are Warriors』をリリースし活動を再開させた!今作のギターは、オリジナルメン バーの2人に代わり、クワイエット・ライオットのギタリストとして有名なカルロス・カヴァーゾと80年代後半に17歳でDIOに加入した、あの ローワン・ロバートソンが新たに加入!新たな血を得たバンドはカーマインのドラムとポールのヴォーカルを中心にダイナミックな楽曲を披 露!新たな傑作アルバムと共にシーンに帰還した!

今年になったくらいから、YouTubeでラフィン・ノーズのライブ動画を観まくっていました。去年はBUCK-TICKでした。自分がティーンエイジャーの頃に聴いていたバンドが現役で活動しているのを、なんとなく追いかけていました。


(Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド ..

COBRA(コブラ)は、1982年兵庫県尼崎市で結成された日本のオイ! (Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド。メンバーはYOSU-KO(Vo.)、LINA(Gt.)、、PON(Ba.)、KI-YAN(Dr.)。幾度のメンバーチェンジがあったが、過去にはGARLIC BOYSのLARRYやLAUGHIN' NOSEのNAOKIなども在籍していた。

SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.2~

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COBRA、DOG FIGHTの元メンバー。 #SA #NAOKI # ..

さて、話をDOG FIGHT!に戻そう。

NAOKIといえばDOG FIGHT!が頭に浮かぶと言いつつ、自分がDOG FIGHT!の音に初めて触れたのは、もうバンドが解散しようかという1996年か1997年頃だった。いや、もしかしたらすでに解散していたのかも。

SA Guitarist NAOKI ~Interview Vol.4~

バンドブームを通過してきたアラフィフのギタリストの多くが、ラフィン・ノーズの「GET THE GLORY」はコピーしたんではないですかね!?

COBRA、DOG FIGHTの元メンバー。 #SA #NAOKI

1982年
中学時代の同級生だったYOSU-KO(Vo&B)とNAOKI(G&cho)を中心に結成された。
2人は兵庫県尼崎市出身。

ヒカゲ氏は新宿ロフトのスタッフを通じ、リハーサルが終わったら店の外で話し合おうと返事をした。 ..


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最近ブログを読み始めたという方が増えている... ということですが
たまに出てくる、この番外編、なにがなんだかわからなくて
「ところで、そのNAOKIってダレ?」と思っている人と
そういえば忘れかけている人と、もうお腹イッパイ!と思ってる人へも
オキャミの ”NAOKI 歴史” 軽く「おさらいコーナーー自己満足ver.(*´з`)」

時は1986年 高校2年生のときに同級生男子がバンドでコピーしていた
「ラフィンノーズ」というバンドを知ることになる。

その彼が来ると思って行った「ラフィンノーズ」のコンサート。
バンドアルアルでボーカルの人を見ながら楽しかったわりに
ギターの人がかっこよすぎて、恋に落ちる。
※ちなみに、その彼は来ていなかったw
※そのライブでカッコよすぎたのが「NAOKI」である
この時 ともこ17、NAOKI22!

以来、ひーふーみー... 36、7年くらい好きである。
しつこさには本人にも定評あり( ;∀;) ヒャーー


高校3年生の4月に家出して、東京の日比谷野外音楽堂でのライブへ!
2泊野宿して最前列を奪取するも、ライブ中事故が起こり、中断。
この体験以降、学校に行けなくなりしばらく不登校。

卒業後は「NAOKI」近くに居たいがため、すぐに東京に引っ越し。
18歳、右も左もわからぬ春。
そのラフィンノーズの事務所の近くに住み、路上遭遇などを何度か体験
専門学校はかくれみの^^; ←これ言うたびに親に申し訳ない^^;
アルバイトとライブ(追っかけ)に明け暮れる。
同年9月ごろ、実物にアポあり初謁見を達成。
ファンレターに始まり、電話や自宅への押しかけ←今なら軽犯罪w
(あ、内容はまったくあきれるほどカワイイものです)
お誕生日デートや長電話など、今と変わらず優しくて、嗚呼思い出す^^
もちろん面倒くさがられた体験も多々(;´Д`A ```
なぜかいまふと思い出した「大喪の礼」雨降るその日に電話をしたこと。

さて顔見知りにはなったが、特に究極に次に達成すべきゴールがなくなり、
そんな日々に虚しさを感じ始め、ハタチになる6日前に引っ越し。
最後の思い出は「喫茶店で一緒に食べたオムライス」グッバイわたしの青春☆
このときわたし19、NAOKI24。

引っ越し先は「NAOKI」の生まれ育った「尼崎市塚口」←秘密裏に^^;
住み心地も良く、5年も住んでいる間にはもちろん本人にもバレる。
(ゆかりのあるところに居たかったという執着心がすごい... (-_-;))
もう追っかけることは "非建設的" なんでやめようと思っていたのに、
当時の「COBRA」というバンドがすさまじくカッコよすぎて、やっぱりやめられず
グッバイとか言ったわりに、関西圏と広島のライブに制限して、追っかける。
そのころのファンレターの書き出しはいつも
「グッバイとか言いながら、またまた書いてます。」でした。

時は流れ、ファンレターは近況報告にも変わる。
25歳から海外に2年ほど住み、27歳で広島に戻り
28歳で結婚し、37歳でお商売を始めるなど
海外からはエアメールを送りつけ、結婚したときも内祝いとともに報告をし
商売を始めるときにも報告をして、特別な場所でライブをするときには祝辞を送り
広島でのライブが仕事で行けなくて行けない旨メールを入れて
(このころからメールが普通のツールになってきた)
ライブの前日、始まる前や終わった後など、顔を見に行ってみたり
その存在を確認し続け... この存在をアピり続け...
なんの応援もできなかったわたしにですら、ああ優しいんよね。
(誰にでもまんべんなく、気遣いできて、優しい。あれは真の才能!)


で、いったいどういうところがそんなに好きで
こんなことになっているかと聞かれれば
最初は「顔」で、今もずっと「顔」ですが
具体的にあげられる「顔以外」のことはいったいナニ?笑
ギターを弾く姿も好きだし、なぜなのか不思議だけど、
見え隠れする、いろんなエッセンスが好きで
これはもう今となっては呪いかなんかじゃないかと思っていますw
というは、よく使う理由のひとつですが、やっぱり長年接していて見える
「ほう~、そこ、そうくるか~」と、スススっと方向性が似ているから
違和感のない、その人間性なんでしょうね、と締めくくります。

18歳のときに東京へ向かった、わたしの、文字に落とした夢は
なぜか「付き合いたい!とか結婚したい!」とか、男女な感じがあまりなく
「NAOKIさんと、大人になっても続く、友人になりたい」
ま、そんな思いがあったから、東京を去ったし「自分を生きないと!」と思わせてくれた人。
(↑上手に自分で燃料つくって、燃やして、自己完結できるタイプ ←NAOKI案件に限るw)
いま懐かしいあれこれを思い出して話したり、
うまくいってることも、ちょっとネガティブなことも話せたり
ここにきて、この歳になって、あのころの夢を達成しているような、そんな気持ちです。

と同時に、いまもその夢の姿のままでリアルに存在してくれていることを応援したい。
ずっと存在していてくれて、ありがたいし、居てくれることで頑張れる自分がいる。
だから、これはわたしの恩返しの旅。
そんなわたしの勝手一方的な恩返しに、今週末、旦那さんを筆頭にw
また多くの人が巻き込まれる... というそういうハナシなわけです。笑


どうです?キャンセルしたくなったでしょ( *´艸`)
日曜日、たくさんのご来場をお待ちいたしております!

六望智子* with loyalty

Throwback Thursday|Cobra Twist : コブラツイスト ..

WARRIORS」「情熱 WINNER」と怒涛のアッパーチューンの応酬で会場は最高潮の熱気に包まれた。

最後は「START ALL OVER AGAIN!」「ピーハツグンバツ WACKY NIGHT」でSAもコムレイズもバリバリハッピーに笑顔を見せながら本編は終了した。

アンコールは、<愛でもくらえ!>と、ツアータイトルにもなっている「LOVE'N'ROLL 」、そして最後の最後はコムレイズみんなが肩組んだ「GO BARMY KIDS」で大団円を迎えた。

「16年目もガツガツドカドカで攻めていきますんで。パンクの枠の中にいるのは楽ちんでしょうよ。だけどよ、SAはSAなりのハメ外して、SAのパンク、いわば、『ジャンルはSA』で行きたいわけ!!」 ──TAISEI

自称“懐の深くてセンスのある”五十路バンド、SAはこれからもその生き様で我々を魅了し続けるのだろう。

◆ ◆ ◆

なおSAは、4月に京都磔磔、恵比寿LIQUIDROOMで自主企画イベントをおこなうことを発表している。詳細は、追って発表される予定だ。

ライブ写真:MAYUMI-kiss it bitter-


Photo by 桜島なおき on January 06, 2025. May be an image of croquette.

そりゃそうやろ、パンクバンドは。続けるためにやるもんちゃうから。
でも、ラフィンノーズはまた違うの。「パンク」っていうバックグラウンドは当然あるんだけど、それ以上に「ラフィンノーズ」っていうものになってるからね。だから、いわゆるパンクのルールはラフィンノーズには当てはまらない。これはずっと昔からだけど、定石通りにはやって来てないし、むしろその定石を避けて通ってきてる。それがラフィンノーズで、それ1本なんだ。だから、職人さんのような感じなんじゃない? 職人さんって、続ければ続けるほどどんどんシンプルになり、そして太いものになっていくと思うけど、それは俺らも同じだと思う。
俺があるとき思ったのは、惰性でバンドをやるんじゃなしに、ラフィンノーズをずっとやるんだと。それは、俺にとって一生かけてやるに値する「仕事」だと。だから、パンクバンドが1年2年で終わるのは当然の話やねんけど、ラフィンノーズの場合はちゃうねんね。俺にとったら一生レベルの話。だから、このステージで死ねたら俺は本望やね。

COBRA時代のお話し色々聞かせていただきました。 Translate post.

1992-1994年
PON(B)とYOSU-KO(Vo)はテクノパンクユニットCOWCOWを結成
1995年~現在
PON(B)はCHARMYとともにLAUGHIN’NOSE活動再開

1992-1997年
NAOKI(G)とKI-YAN(Dr)は現WDRSのTAISHO(Vo)、現SAのKEN(B)とDOG FIGHT (ドッグファイト)結成

COBRA、根強い人気ありますね。TOKYO RIOT、We Are The Champion ..

ザ・コブラツイスターズ

川畑アキラ ボーカル・三線・アコースティックギター
バンドの看板。鹿児島県与論島出身。ザ・コブラツイスターズの全曲の作詞と、生まれ持っての天然から発信される理解不能なギャグを担当している。当然、本人は唯一の常識人だと思い込んでる。
座右の銘:成せば成る

相馬圭二 リーダー・ギター
バンドのリーダー。青森県出身。大のブルース・リー・格闘技フリーク。英語の発音がDJ並に素晴らしい(?)。もちろん話す事ができるはずもない。ギターのフレージングメイクのセンスは天才的。
座右の銘:考えるな感じるんだ

加藤一郎 ドラムス
バンドのお母さん。要として正確なリズムを刻む。棗田の高校生時の同級生であり、保護者。強面のルックスから繰り出されるドラムプレイは見るものを圧倒させる。が、酒量と打ち上げでのテンションの高さでも一同が圧倒されている。
座右の銘:石の上にも三年(??)