グリーンライト 1967 シェルビー GT500 ホワイト/ブルーストライプ 1:18
当時のレーシングカーは、公道モデルに驚くほど近かった。自走でサーキットへ向かい、そのままレースを戦ったマシンも珍しくなかった。21世紀に再現されたデイトナ・コブラはモダナイズされている。しかし、現代の水準では大きな忍耐が必要だ。
フロントボディマウント シェルビーコブラ デイトナクーペ MZN175-2
本来、シェルビー・デイトナが搭載していたエンジンはのV8だった。だが、筆者が試乗したデイトナ・コブラに載っていたのは、GMのLS3ユニット。エアコンとパワーウインドウも装備されていた。
SHELBY COBRA DAYTONA COUPEはアメリカにかつて存在した「シェルビー・アメリカン」製のレーシングカー。
シェルビー・アメリカンはレーシングドライバーだったキャロル・シェルビー氏が現役引退後、当時圧倒的だった欧州レースカーに対抗できるアメリカのレーシングマシンの開発を目的に設立されました。
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そこでシェルビー・アメリカンはGMでコルベット・スティングレイ(当時唯一世界に対抗できたかもしれないアメリカ車と言われていたらしい)をデザインしたピート・ブロック氏にクーペボディのデザインを依頼。
そうして生まれたのがSHELBY COBRA DAYTONA COUPEでした。
※SHELBY DAYTONAという名称は
今回のクルマは、シェルビー・インターナショナル社の正式な認可を得ている。製造は南アフリカに拠点を置くハイテク・オートモビル社。英国ではル・マン・クーペス(LMC)社が販売を担う。過去のレプリカとは混同するべきではないだろう。
1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 製作開始
果たして、シェルビー・デイトナは1965年のFIA世界選手権へ参戦。 セブリング12時間レースやル・マン24時間レースでは、クラス優勝を掴んでいる。製造数は僅かに6台。近年の取り引き価格は10億円を超えるというレアぶりだ。
その後1964年にはル・マンでクラス優勝を果たしたり、1965年にはFIA年間チャンピオンという戦績を納めるも、「打倒フェラーリ」をフォードから託されたキャロルシェルビーはデイトナでのレース活動を断念。
(代わりに1966年にはGT40がフェラーリを破って優勝)
グンゼのデイトナコブラを久しぶりに手に入れました。高校生くらいの頃、新製品で買って作ったキットです。ヤフオクで購入しました。
その指示を受けたシェルビー・アメリカンの技術者、ピート・ブロック氏は、基本的にコブラと同じパッケージングをベースに流麗なクーペボディをデザイン。コーダトロンカ・スタイルのテールを備え、空気を滑らかに受け流しつつ息を呑むほど妖艶だった。
ちなみにコブラ・デイトナ・クーペには大きく分けてシェルビー・アメリカン自身の手で製作されたプロトタイプと、それをベースにイタリアの「グランスポルト」で製作された二号車以下六号車までの2タイプが存在している。今回写真で紹介している♯12はグランスポルト製二号車のCSX2300、♯26は同じく三号車のCSX2601である。
シェルビー・コブラ・デイトナ・クーペ(Photography: Michael Furman)
シェルビー・コブラ・デイトナクーペは1965年の半ばまでに合計6台が生産され、完成した個体から実戦へと投入されていった。空力的に洗練された新しいボディを得たシェルビー・コブラは、依然として強力なライバルであり同じくさらに洗練されたボディを得ていたフェラーリGTOを相手に大健闘を見せた。そしてついに1965年度の世界耐久選手権においてGTクラス・チャンピオンの座に輝いたのである。アメリカンメイドのスポーツカーが世界一に。多くのアメリカ人レースカービルダーの夢が現実のものとなった瞬間だった。
SHELBY COBRA “DAYTONA” COUPE シェルビー・コブラ デイトナ クーペ GULF [HTC77] ..
2002年にはエンジンの排気量を8.3リッターまで増やし、最高出力を517psまで向上させた「バイパーSRT/10」に進化。その後も特別仕様車などが続々とデビューする。究極は2008年に登場した「ACR」(アメリカンクラブレーサー)と呼ばれるスパルタンな仕様のバイパーだ。専用のエアロパーツやサーキット走行を意識したサスペンションなどを装着し、さらなる軽量化を遂げたタイプも存在した。そのクルマはニュルブルクリンクで7分22秒1を記録。2012年には「バイパーACR-X」が7分3秒058を記録し、当時の世界最速の量産市販車となったのである。
MZP144R・京商 ASC MR-03N-RM シェルビーコブラ デイトナクーペ レッド
ボディ素材はアルミニウム合金。最初の個体であるCSX2287は、シェルビー・アメリカンのファクトリーが市販コブラの量産で手狭となっていたことから、同じロサンゼルス市内にあったディーン・ムーンのファクトリーとその生産設備を借りて製作された。そしてもともと量産する必要もなかったことから、2台目以降はこの手のアルミボディの製作に長けていたイタリアのカロッツェリア、「グランスポルト」に外注に出されることとなった。
コブラ 3年保証 正規新車 シェルビー ライセンスドモデル スーパフォーマンス 7.0L 427OHVエンジン
1991年12月、ついに「バイパーRT/10」がデビューを果たす。1995年にはコブラのクーペタイプ「デイトナコブラ」を彷彿とさせる「バイパーGTS」も登場。クライスラーの思惑通り、市場では大きな反響を呼んだ。
伝説的マシンが527psで復刻 シェルビー・デイトナ・コブラへ試乗 エンジンはGMのLS3 ..
気になるのは15番のゼッケンなんですよね~。
これ、当時の資料を検索しまくったんですが、15番なんて付けてるのプラモデルかダイキャストカーだけで・・・実際にこのナンバーで走ったシェルビー・デイトナっていたんでしょうか?
1964年から1965年の2年間にわたり作られたデイトナクーペは、289のエンジンを搭載していたが、キャロルシェルビー ..
多くのクルマ・マニアの羨望を集めてきたシェルビー・デイトナは、過去に少なくないレプリカが作られてきた。公式に認可を受けた、コンティニュエーション・モデルも存在する。だが、今回の例ほど見事な例はこれまでなかったと思う。
現代の技術で蘇った往年の名車 シェルビー・コブラ・デイトナクーペ
2014年には電気自動車のデイトナも登場していたけれど、オリジナルにより近い限定モデルはさらに人気になるんじゃないかな
60年代にデイトナ2000㌔で優勝したシェルビー・デイトナを現代の技術を投入して9台のみ再販した公式車。公道仕様車はそのうち3台のみ。
なんか挑まれてる気がしたのでお答えしておくと、デイトナコブラクーペの15番は1965年のセブリング12時間レースの仕様です。ボブ・ボンデュラントとジョー・シュレッサーが組んで走り、総合4位(GTクラス優勝)という結果で広く知られている仕様です。
ウォン警部のブログ記事「シェルビーコブラ・デイトナクーペCSX9000」です。
1960年代に作られた、伝説的なレーシングマシンのナンバー付き車両を、公道で運転するという貴重な機会が新年早々やってきた。復刻版とはいえ、歴史的なモデルを直接的に体験できることなど滅多にない。
ブログ:シェルビー コブラ デイトナ クーペ用スターターモーター
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第14回目はトミタオートから購入したシェルビー「デイトナクーペ」を振り返ってもらいました。
シェルビー・デイトナ・クーペ “リプロダクション” を英国でも発売
1963年の秋から開発に入った新しいコブラは、GMのデザイン総本山でもあったアート&カラー・ディビジョンを辞し、シェルビー・アメリカンに雇用されたばかりの若きデザイナー、ピート・ブロックの手でボディ形状が整えられることとなった。
シェルビー・デイトナ・コブラ・クーペのエンジンサウンドです! アメ車特有のV8 SOHCの排気音もイイですね.
この問題はシェルビー・アメリカンにとって、より戦闘力の高い「新しいシェルビー・コブラ」を送り出す上で極めて大きな動機となった。そしてその結果生み出されたのが「シェルビー・コブラ・デイトナ・クーペ」だった。
GT7 シェルビー コブラ デイトナクーペ 1964 ラグナ・セカ PS4
今回ご紹介するのは「デイトナコブラ」というクルマである。正式名称は(シェルビー デイトナ クーペ)と呼ぶようであるが、ロードスターの「コブラ」をベースにクラスのスポーツカーに仕立て上げたもの。年のマニュファクチャラーズのチャンピオンを獲得したマシンでもある。
シェルビー デイトナ クーペ SHELBY DAYTONA COUPE
もちろんシェルビー・アメリカン側も手をこまねいて見ていたわけではなかった。タイトターンが多いレースコースでは問題とならなかったこの弱点は、テストの時点である程度予測されており、1963年度のル・マン24時間レースではハードトップが装着することで切り抜ける策が採られた。