そして、ラストのあおり分には「殺(や)ったねたえちゃん!」の文字があり、


現在発売中の月刊コミックフラッパー12月号にて、「やったねたえちゃん!」の連載がスタートしました。


カワディMAXの新連載「やったねたえちゃん!」一般誌のフラッパーではじまるよ!!

『やったねたえちゃん!』、満を持っしての一般誌連載!やったね、たえちy・・・え?前作の続きなの!?

建畠:どうでしょうね。ジャーナリストの時代も、『芸術新潮』の編集部はアカデミックな雰囲気があったんです。不思議な編集部で、大学の先生がいっぱいいたんです。大学は週2回くらいで、後は編集部に詰めているという人がいて、学者たちが周りにいた。しかし国際美術館は、西洋美術館などに比べると、大学の研究者的な気風があるというよりはむしろ、現代美術をどんどんやっていこうという感じでした。村田さんは文化庁にいた人だからアカデミックな人ではないし、本間先生も東近美の副館長から来たから現場上がりの人だった。だからあまり学術研究機関という雰囲気ではなかったです。でも、宮島さんはキュレーターとしても非常に優秀な人で、研究能力も一級の人材でした。宮島さんは、基本的にはデザイン史を専門とする美術史家でした。そういう意味では、彼を中心に研究紀要を出したり科研費を申請したりしましたが、美術館の目的自体は現代美術が中心なので、展覧会を企画するという事業主体の美術館ではありましたね。

新やったねタエちゃんの主なあらすじ 殺ったねタエちゃん♪

やったねたえちゃん!4巻読了。
話が一気に進展して「たえない子」の正体や謎の力を手に入れた背景、お母さんとの関係の決着について語られます。

相変わらず「ホラー漫画でもここまでやんねーぞ?」ってくらいのグロバイオレンスを軽いギャグテイストで出してきます
一応、今回が最終巻らしい

閲覧注意な漫画「やったねたえちゃん」。その内容はエロ漫画?鬱漫画?鬱展開すぎて話題な「やったねたえちゃん」のその内容や元ネタとは?この記事では気になる「やったねたえちゃん」のあらすじやその後のネタバレ、その他の人気な鬱漫画などについてご紹介いたします

カワディMAX「やったねたえちゃん!」の1巻が、本日5月23日に発売された。

「やったねたえちゃん!」読了。
少女奴隷スクール「コロちゃん」から10年は経って、コミックフラッパーから1〜4巻とコミック化。
カワディMAX先生ワールドのおもしろいセリフもありつつ、「元がエロ漫画でここまで話広がる!?」とストーリー性。最終巻の4巻では話の最初のお母さんも。凄すぎた。

先日買ってきた『やったね たえちゃん!』の4巻読了。
いやまさか、あのネットミームだったアレが、ここまで話広がるとは思わなんだ(笑)

なんとかたえちゃんが落ち着く所までたどり着いたが、色々殺ったね!で、あんま笑えんわw
まあでも、面白かったには面白かった。

コロちゃん「やったねたえちゃん!」 というやり取りのコマが、いわゆる ..

「やったねたえちゃん」というフレーズですが、インターネットサーフィンが好きな方やSNS、掲示板サイトを利用している方であれば1度は目にしたことがあるかたも多いのではないでしょうか。

「やったねたえちゃん!」4巻読んだ。ラストまで追いかけるつもりがコレが最終巻だった。
園長の過去とかトリガーハッピー女刑事とか謎の人物とか気になる点は多々残ってるけど、そもそもがたえ子が『家族』に対して一つの結論を出すまでの物語と思うとここで区切りかな、と。


コブラ · 覚悟のススメ · 美味しんぼ · ゴールデンカムイ; やったねたえちゃん

「やったねたえちゃん!」4巻。救いようのない世界の中でふたりの「たえちゃん」がお互いを護り、タイトルに還っていくラストが沁みました。コロちゃんもずっとたえちゃんのこと護ってくれてありがとう。あの成人向け作品から続編が生まれ、こんな怪作に仕上がるなんて!いつか続きも読みたいです!

たえちゃんカッコいい なにこれ やったねたえちゃん 最新 ..

飼い主が「やったね たえちゃん!」の4巻を買ってきた。
まさか、この4巻で「家族が増えるよ!!」「やったねたえちゃん!」の元ネタが見られるとは思えなかったんで(不意打ちすぎて)笑ってしまった。あとで、所持している元ネタと比べてみようww

【全初版】やったねたえちゃん! 全4巻 全巻セット全巻初版本です。 中古品のため、ご理解の上お願いします。

建畠:僕は学芸員として15年間いたので数多くありますね。僕が直接携わったもの、メインのキュレーターだったり、アシスタント・キュレーターだったりしたものでは、まず「イスのかたち デザインからアートへ」(1978年)。これは宮島久雄さんがチーフ・キュレーターでやった展覧会です。宮島さんはデザイン史を専門の一つにしていますからね。これは、近代、現代のイスのデザイナーの作品を揃えると同時に、現代美術の中でのイスの表象を扱った展覧会です。例えば、岡本太郎の《座ることを拒否するイス》とか、草間彌生のペニスの生えたイスとかですね。倉俣史朗なんかもそうですね。現代作家が、イスそのものを作ったり、イス的な表象をしたりしているので、そういったものを集めた。イスのデザイン展としてやったんだけど、デザインとアートの境界領域を模索した点では先駆的な意味があったかもしれないね。それから、「現代の作家1 田渕安一 湯原和夫 吉原英雄」(1978年)で、僕は田渕安一(田淵安一)を担当しました。フランスに行って出品交渉をしたり、1人のアーティストの個展をしたという点では印象に残っていますね。あと、「近代イタリア美術と日本 作家の交流をめぐって」(1979年)。これは村田慶之輔さんが中心になってやった展覧会で、僕はアシスタントをやりました。この頃は、交流史という館の目的が生きていたので、「どこそこと日本」という展覧会を何回かやっているのね。「絵画のアール・ヌーボー、ヨーロッパと日本」(1980年)とか、「現代ラテン・アメリカ美術と日本」(1981年)とか。これは国際美術館の独特の視点でやっています。必ずしも全面的に成功したとは思わないですが。ただ、「近代イタリア美術と日本」は、そうした交流と同時に、アルテ・ポーヴェラの作品をまとめて日本で紹介した最初の例かもしれないね。イタリアに一、二度行ってリサーチしながら、もう死んでしまったけれど、イオレ・デ・サンナ(Jole de Sanna)というブレラ美術館の美術史家・評論家や、ルチアーノ・ファブロ(Luciano Fabro)、長沢英俊さんと接しながら、いろんなことを学びましたね。それまでのイタリアの知識というのは、例えば彫刻で言えば、マリノ・マリーニ(Marino Marini)とかジャコモ・マンズー(Giacomo Manzù)といった、日本でもよく紹介されていたメジャーの巨匠たちだったんだけど、そのリサーチの中で初めてアルテ・ポーヴェラの感化に触れました。それは、ジャスト・コンテンポラリーであると同時に、アルテ・ポーヴェラの人たちの歴史観、例えばバロック時代のキリコとか、メダルド・ロッソ(Medardo Rosso)の決定的な意味とか、多くのことを学びましたね。それが如実に展覧会に反映されるほど勉強はできなかったけれど、特にファブロや長沢さんから、ちょうど起ころうとしていた新しい歴史主義みたいなもの、ポストモダンに繋がっていくようなものを学んだ気がします。「まがいものの光景 現代美術とユーモア」(1980年)は、小規模ですが、僕が独り立ちして初めてやった展覧会です。英語だとSimulated Landscapeというタイトルなんです。シミュレーショニズムという言葉がまだない時代だったけども、今考えてみれば、シミュレーショニズムを先取りしたようなところがあったかもしれないね。日本の作家ですが、草間彌生とかいろんな人たちを集めて、ユーモアの光景であると同時にキッチュでもあり、シミュレーション・アートでもあるような、独特の発想でやった展覧会で、かなりの観客動員をしたし、ジャーナリズムの反響も大きかったですね。ただ、毀誉褒貶という感じだったかな。キッチュの価値は、その頃まだ美術館レヴェルでは承認されていないときだったので、反発を感じる人もいました。自分としては先鋭にやったつもりですね。「絵画のアール・ヌーボー ヨーロッパと日本」は、宮島さんの専門の展覧会で、僕はアシスト的に入りました。これも宮島さんらしい発想で、工芸の文脈でおさえられていたアール・ヌーヴォーの概念を絵画に導入して、もう一度そのサンボリスムを捉え直すという、面白い企画だったと思います。企画には関わっていないけれど、「河原温 連続/非連続 1963-1979」(1981年)は強烈な印象が残っていますね。

「やったねたえちゃん、家族が増えるよ」伝説の”ファンタジー漫画 ..

カワディMAX『やったね たえちゃん! 第4巻』(メディアファクトリー)読了❤これが最終巻とは残念無念、面白かったのに。スプラッターをギャグにしてしまうセンスが良い。
結局、体に書かれた数字の謎も分からずじまい。もっと話が広がって行くものかと。でも、こういう終わり方もありか。

初版 やったねたえちゃん! 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ) カワディMAX

建畠:そうですね。この当時は5本くらいの展覧会をやるのが一般的ですね。万博会場にあって交通の便が悪くて、多くの観客動員が期待できないのね。ただ、不思議な場所で、アングル展やゴッホ展をやると大量の人が来る。アングル展はおかしかったね。NHKと共催でやったんだけど、うちは現代美術館と思われているから、アングルって「角度」だと思ってきた人がいて(笑)、面白い展覧会をやってますねって言われたね。まあ、アングル展とかゴッホ展のときは、大量の人が来るんですよ。どうしてかというと、すごく不便なんだけども、逆に言うと、交通の便が日本で一番いいところなのよ。つまり、飛行場からも、高速道路のインターチェンジからも、新幹線からも、阪急・京阪からもアクセスできるあらゆる交通の要所なの。だから万博のときに1日20万人という人を確保することができたんだよ。大量交通機関で国際的なアクセスもできるっていう場所で、日本で一番交通の便がいいところなんですよ。ところが、万博が終わって最後のアクセスが全部断たれちゃったわけ。周辺までは行けるんだけども、あと2キロで断たれちゃっているんだよね。ところが、大量観客の展覧会をやると、断たれたところの交通機関が回復するんですよ。バスがピストン輸送する。だから、ブロックバスター展をやると東京の会場よりもたくさん入るんです。東山魁夷展をやったときは、東近美でやった展覧会がうちに巡回したんだけど、東近美よりうちの方が入館数が多かったのね。そういうような不思議な場所でもありました。でも、一般的には不便この上ない。周辺まで来れるんだけども、最後のアクセスができない。あまり人が来ない。その頃は、日本の財政も良かったし、高度成長も真っ盛りで、あまりうるさくなかったのね。地方にある国立美術館の入場者がどうでも。大蔵省も別にどうでもいいよみたいな感じで、文化庁もあまり気にしていなかった。まあ勝手にやったらみたいな感じで、それをいいことにして、結構、先鋭なつっぱった現代美術の展覧会をずっとやってきましたね。孤立した中で。そのときは、一種のかぐわしさというか端然とした姿勢を示したというふうに、我々内部では思っていました。外部からどう見えたかは知らないけどね。国立美術館としては、現代美術の先鋭な方向性でがんばっているというイメージはあったかもしれないね。

【画像】やったねたえちゃん新作、とんでもない展開になってしまうwwwwwwww

『やったね たえちゃん』4巻読了
やり終えたね、お疲れ様 たえちゃん
あとがきのスペシャルサンクスの気遣いに不覚にも涙ぐんでしまうというインターネット老人k…いや、古のとしあき

やったねたえちゃん!」とは【カワディMAX先生:フラッパー連載】

その知らせを受けたたえちゃんは大喜びし、コロちゃんに家族が増えることを報告します。「やったねたえちゃん!」と一緒に喜ぶコロちゃん、2人はドキドキしながら伯父の家へ向かいます。しかし、そんな2人の前に現れたのはお世辞にもまともな暮らしをしているとは思えない、酒気を帯びた不潔な中年男性でした。

『やったねたえちゃん!』の新作、超展開すぎるwwwwwwwww

えっ!?
「やったね たえちゃん!」って4巻で最終巻だったの!?
いあ、個人的には楽しんだんだけどな…
だって、大人に虐待される子が最強の殺人鬼って面白い…ってか、胸がスカッとするじゃん!?
作品自体は別の形で続くそうなのが救いかなぁ~
続きを知ったら、是非見るぞ٩( 'ω' )و

殺ったねたえちゃん!に成ってる… きっと、コブラがなんとかしてくれるのさ

建畠:たしか展覧会予算が5千万で、購入予算が5千万。購入予算が今は2億円くらいになっていますけど。その5千万というのは、どの美術館も同じなんだけど、他の美術館は新聞社との共催を入れるのが普通なのね。年に1本特別展があって、自主企画として、研究成果を発表するんだけど、他の美術館は、それ以外に新聞社との共催が入るわけですよ。それでブロックバスター展をやるんです。国際美術館は、たまにNHKや日経新聞と共催をすることはあったけども、新聞社の共催がほとんど入らないんですよ。新聞社も、「こんな人の入らないところ」と言うんです。だから、5千万の予算の範囲内でいろいろやらなくちゃいけないのね。普通は特別展に5千万をかけられるのに、それを5つくらいに割って、我々の自主企画だけで埋め尽くすということをしていた。少ない予算でゲリラ的というと変ですが、なるべくお金がかからないような形で先鋭なつっぱった展覧会をやっていたという感じかな。それなりにやってきて、記憶に残っている展覧会もあります。自分が直接関わったものでいうと、一番印象に残っている展覧会は、「絵画の嵐・1950年代 アンフォルメル/具体美術/コブラ」(1985年)。アンフォルメルと具体は密接な関係がありましたし、コブラもアンフォルメルとほぼ同時代の動向で、宮島さんが詳しかったんです。1950年代の絵画としては、ここには、アメリカのニューヨーク・スクールの抽象表現主義が抜けていますが、それはそれで1本やろうと思っていたのね。とにかくアンフォルメルと具体、そして、アンフォルメルと多少関わりのあるコブラ――アレシンスキー(Pierre Alechinsky)は両方に関わっていますから――で、50年代の表現主義の展覧会をやろうということになった。最初、英語のタイトルは「Action and Emotion」とつけたんですね。最終的にはフランス語で「Action et Emotion」となったんだけど、日本語のタイトルも「行為と感情」にしようと思ったのよ。今だったら、つっぱってそのままにしたと思うんだけど、館長から、よく分からない、そんな小難しいタイトルをつけたらダメだって言われて、それもそうかなと思ったのね。それで、いろいろ考えたんだけど思いつかなくて、「絵画の嵐・1950年代」という、いささかださいタイトルになったんです。
ところで、この直前に、具体のコレクションに触れて驚いたということがありました。山村コレクションです。山村(徳太郎)さんが、東京画廊の介在でミシェル・タピエ(Michel Tapié)のところに送られた具体のコレクションを買い戻すんですね。トリノにあったものが中心なんですが。それが山村家に置いてあって、家の中や車庫にきっちり詰めてあった。そのとき尾崎(信一郎)くんが阪大の院生で、木村(重信)さんに言われて、山村さんのアシストをしていたんです。それで、夙川の山村家に行って、尾崎くんにも来てもらって、車庫の中から次々と庭に出して写真を撮ってチェックしたのね。で、驚いたんですよ。あまりのクオリティーの高さに。それまで言説としては知っていました。彦坂(尚嘉)さんや千葉(成夫)さんの言説として、具体は初期において、環境芸術とかパフォーマンスとかコンセプチュアリズムといった前衛的な萌芽があったにも拘らず、タピエとの接触によって、大作・タブロー主義へと収斂していて、初期にあった問題が矮小化されてしまったと、その頃、通説のように言われていたのね。タピエに迎合したアンフォルメルの時代と。だから初期の具体が重要だと言われていた。ところが、これを見てアンフォルメルの時代の作品のクオリティーに驚いたのね。特に田中敦子。これは衝撃的な経験でしたね。尾崎くんがちょうどその頃に卒論か修論をアンフォルメルで書いていた。彼は特権的な立場にいて、山村コレクションのタブローの分析をしていた。2人で話し合ったことなんだけども、極論すれば、初期にあった様々なコンセプチュアリズムや環境芸術的な萌芽がタピエとの接触によってアンフォルメルへと矮小化されていったというよりは、むしろ初期の実験がタブローへと収斂していったと考えるべきじゃないかと思った。様々な実験がそこでタブローへと収斂していって、結果的に、国際的に言っても抽象表現主義に匹敵するような、戦後美術の中で最も優れた絵画空間、ものすごいクオリティーの高い達成を遂げたんではないかというふうに、あえて対抗的に問題をたてた。もちろん両方あるんだよ。二つの見方が。オール・オア・ナッシングじゃないと思うけど、少なくとも大作タブロー主義によって具体が矮小化されていったというのは明らかに違うのね。これは後からいろんな形でフォローされていく。「1953年ライトアップ」展(1996年、目黒区美術館)とか。彼らはもともと画家集団で、基本的には具体の作家はみんな画家なんですよ。0会の人たち、つまり田中敦子、金山明、村上三郎、白髪一雄という人たちは、タピエと触れ合うことによって彼らは転身したというよりは、具体に参加する以前の作品――小さなタブローだったりドローイングだったりするんだけども――において、もうすでに大作・タブローの時代に実現していることを、より純粋な形で完璧に実現しているんです。でも、このときは、アンフォルメルの時代のタブローを見て、具体の評価、すでにパフォーマンス集団としての評価は非常に高かったけど、タブロー集団としての評価を確立しなきゃいけないという使命感みたいなものはありましたね。それで、具体のリサーチをすると同時に、パリに飛んで今井俊満とかいろんな人に会って、アンフォルメル運動を調べました。スタジオ・ファケッティ(Studio Paul Facchetti)とか、拠点になった当時の画廊も調べました。もう閉まっちゃったけど、特にスタドラー(注:スタドラー画廊。Galerie Stadler)に協力してもらって、タピエにも会いに行きました。タピエは少しアルツハイマーになりかけていて、満足な会話は交わせなかったのは残念でしたが。